浅草名所七福神
七福神信仰の今昔

七福神めぐりは、水害、火災、盗難など七つの災害を除いて、生命財産を守り、「愛敬富財」「芸道富有」「人望福徳」「有徳蓄財」「勇気授福」「清廉度量」「延命長寿」の七つの幸せが授かるといわれます。

福の神への信仰は古くからあり、大黒天、弁財天、恵比寿神の三神を合わせて参詣する信仰は鎌倉時代の頃からといわれています。

やがて室町時代になり、庶民の信仰がたかまるにつれて、この三神に毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人の四神が加わり、七福神信仰の成立をみたようです。

江戸時代も正徳・享保(1711~35)の頃になると、江戸幕府の政情も安定し、江戸の町々には庶民の力強い生活の息吹きがみち溢れはじめました。
活気のあるところにはとうぜん豊かさが生まれます。

上野、飛鳥山、墨田堤などの名所が開発され、庶民の間に物見気分(物見遊山の物見のこと。観光気分)が高まっていきました。当寺が別当をしていた玉姫稲荷も、その名所のひとつで「雪月花ともによし、風景又天然にして・・・」と『遊暦雑記』に記されています。

こうした物見気分に、商売繁昌、家内安全といった素朴な願いがいつの間にか加わり、神仏詣でが盛んになっていきました。七福神詣での巡拝も、こういった時代の流れの中で、はぐくまれていったのでしょう。

浅草名所の巡拝路は、江戸文化の発祥の地ともいわれる浅草という土地柄もあって、江戸時代から文字通り庶民の人気を独占してきましたが、第二次大戦のため一時中断し、昭和五二年に復活しました。福禄寿、寿老人が一か所ずつ増え、九か所巡りになっているのが特徴です。

不動院(砂尾山橋場寺不動院)布袋尊

不動院(橋場不動尊)は、天平宝字四(七六〇)年、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の第一の高弟寂昇上人によって開創されました。

不動院の布袋尊は、唐の後梁の頃(十世紀初期)の禅僧、契此がまつられたといわれます。常に笑みをたたえ、粗衣をまとい、人に乞うて受けたものを入れる大きな布袋を肩に、杖と団扇をたずさえて、居住を定めることもなく、諸国を遊行し、世に超然としてすごしたといわれます。

額がせまく、腹が大きくふくれ、半裸で、その風体がすこぶる異様であったことから、当時の人々は「長汀子」とか「布袋師」と呼んでいました。豪雪の夜、雪の中に寝てもその体がぬれることもなく、吉凶を予見して間違うことがなかったとも伝えられています。

中国では弥勒菩薩の化身として尊ばれ、歴史的に実在した人物以上に、伝説化されているところが多いともみられています。親しみのある布袋尊には、庶民の生活に近い環境を求める願いが、素朴な形であらわれていたのでしょう。

当寺の布袋尊像は、江戸後期のものと思われますが、大きな度量、清く正しい行動(清廉度量)の福をさずけてくれる布袋様そのものといった「布袋尊」です。

「浅草名所七福神詣で」は、元旦から七草まで干支絵馬つきの福笹(当院等にて授与)に各社寺から授かった絵馬をさげて巡る方法がとられ、ハトバスも一日に2~3回まわっていて、なかなか盛んです。

大黒天 浅草寺。浅草1-3-1
恵比寿 浅草神社。浅草2-3-1
毘沙門天 待乳山聖天。浅草7-4-1
福禄寿 今戸神社。今戸1-5-22
福禄寿 矢先神社。松が谷2-14-1
寿老人 石浜神社。荒川区南千住3-38
寿老人 鷲神社。洗足3-18-7
弁財天 吉原神社。千束3-20-2
布袋尊 橋場不動院。橋場2-14-19

浅草名所七福神 - Google マップ

浅草名所七福神めぐりmap
各社寺受付時間 AM9:00~PM4:00  新春・正月には、はとバスも巡ります。
詳しくは、浅草名所七福神会にお問い合わせください。
お電話 03-5603-9977(音声ガイド)
URL http://www.asakusa7.jp/

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